逃げて流れ着く

 

 

 

人がいるところが苦手。

たくさん人がいるところはもちろん、少し人がいるところ、いやほとんど人がいないところでも、(few peopleとa few peopleというのが頭に浮かびましたがそれはどうでもいいな、)苦手、です。苦手なものはしょうがない。できれば人のいないところでゆっくりと深呼吸をしたい。私にとってそれはビルの廊下、図書館の隅、昼間の公園、早朝の道、丑三つ時のおふとんの中、など、です。街に出る時は耳栓をしてマスクをして、電車の中で目を閉じればそこがひとりの静寂の世界。

 

人間が大好きだけど人間が苦手という感じで人生を送っています。

 

好き。人間。人間を取り巻くもの。人文学。humanities。

人間がずっとおもしろい(interestingのほうの)。おもしろいからというそれだけで観察記録のようにクラスメイトの言動をメモしたり窓の外の人たちをじっと見ていたりして気味悪がられて人の輪から遠ざけられていました。そらそうなるよ。今はそういう奇行こそ減りましたがそれでも大学で心理学の勉強をしたのは「怪しまれずに人間を観察できる」という部分に惹かれてだったのでした。変人だという自覚を持ちながら矯正できず変人であるしかない日々だ。

 

自分を好きになりましょう、自分を大事にしましょう、とよく励まされますが実は自分のことも好きです。人間に興味があり、自分に興味があり他人のことはもっと興味があるというだけです。自信があるせいで浮いてしまって空気を読んで黙っていたら自分の良さが出ず自己肯定感が下がる、とまあ私はそんなサイクルです。私は自信のある人を見るといいなあと思います。自信だけあって行動がともなっていなくてもそれが人間らしくておもしろい(interestingのほうの)。みなさん自分のことを好きでいてほしいなあ。できる範囲で。

 

好きだからこそ人間が苦手。

情報が多すぎます。人の言葉で脳内がいっぱいになって自分がなくなる。その人に「なる」とか「のりうつる」とか、そういう感覚です。なんかこう、人間がおもしろすぎると、言葉を全部引き受けてしまって、私の言葉を見失います。いずれはその境界線が溶けていって自分になるのですけど。

よい情報とわるい情報が一気に流れ込んでくる雑踏に目眩がする。人が、同じ場所に、います。ただそれだけです。干渉せず、かといって私が倒れたら誰かは助けてくれるだろう(誰も助けてくれないかもね)、それくらいの距離感の人々、比較的治安のよい国、

 

しかしとても、こわい。

 

この「こわい」は細い明朝体でフォントサイズは大きくて白地に黒文字ですっと不気味に据えられている感じの、こわい、と思ってください。

 

そういう恐怖が常に私の近くにある、生まれながらにそうです、本当に何をしてもどこにいてもいつでもこわい。

 

 

わかりません。ずっとわかりませんが、人がいると、人といると、疲れ果てます。こんなにおもしろいのにな。だからか。

 

 

あぁ、全てが人並みに、上手く行きますように 

というのは好きな曲の歌詞。(中村一義「永遠なるもの」)

 

 

 

ゴールデンウィークはなかった。仕事で。疲れて家に帰ってきて棚の整理をしたら奥からノートが崩れ落ちてきました。崩れ落ちて、という表現がちょうどよい、がさ!と。中を開いたら呪いのノートかってくらい文字でみちみちになっていました。それを繰り返して今に至る。かなりその、昇華……でいいのかな、渦巻く感情を歌詞や音楽やツイートとして圧縮して世に出すという解消法を身につけて、ノートの文字は減ってきています。……減ってきてて、それなのに一息でこれぐらい書く。脳内には一体幾つの言葉が飛び交っているのか。疲れてしまうからほどほどに。

 

例の こわい、は、どれだけ環境を整えてもまるで退いてくれない強者で、それの隙間から顔を出して、呼吸し、人間らしい生活を希求しています。

 

この先ずっとあるんだろうな。

絶望の言葉にも見えますが、意外とそんなことはない。やっぱり人間が好きだから自分のことすらおもしろがっています。ちびっこの頃を思い出す。歌って、踊って、ふざけて、輝いている、怖がりな子どもでした。ちびっこだからそのような精神を持っているのだ!と周りは解釈しましたがじつはずっと変わらずそういう人間でした。今でも全然、突然歌い出しそうになるのを耐えていますし、木々の影にさえ怯えます。歳をとるごとに社会側が厳しくなっていってさびしいから今日も創作をしてささやかに抵抗する。曲げようとしても曲がらない性質というのがあって悲しくて嬉しい。

 

 

 

人がいることは嬉しいのに。人といることは楽しいのに。話せることも読んでくださることもとてもありがたいのに。なのにまた「こわい」が追ってきたらここを離れることになってしまう。

また逃げてどこかに流れ着きます。またね。