ラッキーアイテムは5年日記

 

人々が健康すぎて、心底驚くことがあります。

私が健康ではなさすぎるのかもしれません。どちらもか。

 

 

書店に寄ったら、店頭に5年日記がありました。

そういえば何かの占いコーナーで「ラッキーアイテムは5年日記」とあった。どうしてある星座の人のラッキーアイテムが5年日記なのか、さっぱり理屈がわからないのですが、それはさておき分厚い5年日記を手に取ってみてふうんと頷く、

 

5年生きている保証があるから怖がらずに書けるのかしら。

 

 

祖母は、高齢ですが、日記を欠かさずつけているそうです。

戦争を生き抜いた逞しい人なので、エンディングノート(遺言のようなもの)なんてまだいらない、それより日々の暮らしの記録!と、欠かさずその日あったことを記録しているそうです。祖母のベッドの傍らには分厚い日記帳が何冊も積まれていて、中には私についての記述もあるらしい、怖い。そこだけ削除してほしい。

その気力と生命力を見習いたいと思います。

 

私は将来設計というものをほとんどせずにきてしまいました。というのも、常に「もうだめだ」と思っていたので(思い込みだけではなく、本当にだめそうだったことがよくあったのです)、1年後の将来も1ヶ月後の将来さえもうまく描くことができなかったのです。

学校で将来設計やキャリアについて考える時間がありました。しかし、働き詰めの自分も、結婚している自分も、子育てをしている自分も、趣味を謳歌している自分も、全く見えてきませんでした。「やりたいことがない」ということはなくむしろ書き出せば大量にあるのですが、その中で「できること」は相当限られてきます。端的にいうと生活しかできない体力です。

 

5年日記の、

「5年後のあなたはどうなっているでしょう。」

そんな感じの謳い文句がもう既につらい。「……生きてるんでしょうか?」なんて返事するのはちょっと暗いし悲しい。生きていたい。

 

持病はいくつもありますが今は何よりパニック発作が苦しいです。外出先であっても家にいる時であっても、じわじわと疲れが溜まり、突然発症する呼吸苦とめまい。救急車?頓服薬?とりあえずどこか休めるところを……と彷徨ううちに発作がおさまることもあれば、全くだめで見知らぬ空間に倒れ込むこともあります。加えて、「パニックほどではないぼんやりとした恐怖や不安」という状態もあり、これはこれで全く眠れなくなったり生活を圧迫したりして苦しい。そして薬を飲んだ時などに生じる「不安こそないが何も考えられなくなり強い眠気だけがある」という状況もあり、これはこれで人間生活を営むどころではないので苦しい。ただひたすら眠りたい。シビアな追記をすると、そんな状態では「お金に恵まれている」「人に恵まれている」ということもありません。お金を稼ぐ体力も人間関係を維持する余裕も全て奪われてしまいます。つまりじわじわと、なにもなくなっていきます。

そんな状態で将来のことを考えるのは至難の業です。目の前のことしか考えられない……。

今日を生きる。仕事をする。ごはんを食べる。そうやって私の生活を1日分回して、それに加えてちょっと夢があれば、それでもう、十分です。ハープのカタログを見ながら全てを買う妄想をしてニヤニヤしている。いつか生まれ故郷にハープミュージアムを作るのだ!なんてね。

そんな呑気で穏やかな気持ちをもって眠っても、凄まじい悪夢で夜中に目覚めたりする。物心ついた時から悪夢は習慣だからどうしようもない。ああ、少しでいいから未来を想えるコンディションがほしい。

 

いっそ現実を無視して、パワフルな将来計画を立ててみましょうか?

ガクチカ」……大学在学中に力を入れたのは、PC作業の学習(在宅ワークができるスキルが欲しかったがPC作業の疲れの方が上回ってしまい挫折)、転ばぬ先の杖…になるはずの各種手続き、民法の勉強、などという、「今後倒れたらどうするか」メインの動きでした。

でも、倒れないかもしれない!

そう思いこむのもいいかも。どちらがいいのか迷うところではあります。現実的には“自分の暮らしはこのような範囲になるだろうな”と(私の場合は)小さな枠を描いて、そこに収まるように計画立てるべきなのですが、その枠を狭めて狭めてついには何もなくなってしまいそう、弱っているとついそうなってしまうのです。ならばいっそ大きな枠を作ってみるのはどうだ?大きすぎると計画倒れになるけれども。

 

人々の生活を見ていると時々意味がわかりません、どうしてこんなに健康なのか、今この時を楽しく過ごせているのか、未来をどのように考えているのか、何もわかりません。健康だったことがない人間には一から十までわかりません。

 

 

本当は心底どうでもいい話をしたいのです。そういうタイプなので。

20代になってポケモンを初めて覚えようとしているとか、そういう話をしていたい、そういうタイプなので。初歩の初歩かもしれないけれど、ピカチュウがかわいい。そういう。

 

 

 

楽しくなくてもいいから苦しくない日々がいいのになあと思う日もあるし、

苦しいけど楽しい部分もある日々で良かったと思う日もある。捉え方による。

 

 

 

ひとまず5年日記の購入は見送り、頭の中で5年後の自分がどうなっているのか、どうなりたいのかを思い描く段階から始めようかと思います。

 

 

5年日記を書く気になったら、きっとそれは祖母の血です。