好奇心

 

 

 

花の名前を知りたくなりました。

 

あっ、これは好奇心だ!、と思いながら早めの帰路。病院に行くからです。

うーん、バスは満員。つぎのにしよう。

 

 

 

とある中学生が、ある日突然、まったくしゃべらなくなった。

 

ある日、と、まあそんなにピンポイントかどうかはわかりませんが、ある時を境に、私はしゃべらなくなりました。いえ、しゃべれなくなりました。

 

中学生は、中学生なりに、幼いなりに、考えたのでした。

『私が話していることも、それは、すでにだれかのことばだな。ある一定の枠に沿ったことしか話せない場面がたくさんある。だれかにもう、行く道を全部決められているんだ。』

陰謀論ではなくてね。

自分の意思が自分の意思ではないと思ったのでうまくしゃべれなくなりました。しゃべると何かに"加担する"こわさ(たとえば弱い立場の人に当たりが強くなったりとか、周りが言う差別的な言葉をそのままコピーしてしまったりとか、困っている人をさらに責めてしまうとか。そういうことです)。それを背負う力は、ひ弱な自分にはないと思いました。結果的に中学校では友達が殆どいなくなってしまい、「あのひとは、一言もしゃべらない。なんか読んでるか書いてるか校内を散歩してるかだ。あぶないぞ。」といわれていたとかいないとか。

 

その中学生は病院で「うつ状態ですねえ」と言われながらもなんだか納得できませんでした。悩ましい思春期なんて言い方をかえれば軽いうつだよ、と思っていたし、それならわたしは生まれながらにうつだよ、なんにも興味がないしなんにも知ろうとしないのだから、と思ってました。

 

12歳ぐらいで一度人生を諦めて知的好奇心を失いました。

早すぎる。けれど、ちょうどその頃、ここには書ききれないくらいのさまざまなことが一気に自分を呑み込んで、気がついたら心がぱりんと割れていた、もうわたしはなにもかもだめだと思った、あとは惰性で余生を過ごすだけだと。

今の歳になると「12歳ぐらいの子どもたちにそんな思いをさせないような社会がいいな」と思います。

 

ある日のバス停。

どこかのオフィス、花壇がきれいですばらしいけど、なんの花かわからない。シャッフル再生で流れてきた音楽もだれのなにかわからない。信号が赤になって車が止まる。

花。音楽。車。人。

 

それ以上考えない。

 

生き延びるために、そうやってここまで来たので、今でも物事を余りにも知らないときがあり愕然とします。ほんとうにきみは生きてたのかい、何年も、何年も?

 

何かを知ろうとしている人をあちこちで見ます。とても健康そうでいいですね。私は何かを知りたいという気持ちを失って、どこかの地点までそのままだった。徐々に取り戻して、やっとここまできました。

 

 

最近は自分に体があるんだなあ!と気付きました。

 

実体のないバーチャルの世界が生きやすくて生きやすくて。むかしからパソコンが好きです。(しかし、インターネットに自由につなげない環境だったので、インターネットのことはよくわからない。ネットワークを使わず物書きとお絵描きとタイピングゲームばかりしていた。)

一方で、体があるというのがすごく嫌でしたから、鏡も嫌いで(実体がうつるので)、握手も嫌いで、集合写真では魂を抜かれたみたいに写っていました。実感がないから、ピースサインひとつできなかった。

 

最近、お医者さんからすすめられた運動を毎日続けていて、そのおかげで自分が思考するだけの存在ではないという実感が湧きます。よく歩くのがよいらしい。それに加えて、柔軟性を高めるとか、筋力を高めるとか、栄養も体組成にかかわるとか、そういうことが最近楽しくてしかたがないです。人間が人間のからだを操縦して、そこからいろいろなものが(音楽だって)つくられるんですね。

 

 

体がある。疲れると機能が落ちる。

 

脳がある。入ってきた情報に対して、より詳しく知ろうとするかしないかを選択することができる。必要なら詳しく知ることができる。

 

当然のことなのですが、それをやっと、安心して実感できるようになりました。

 

 

やっぱりすごく人間はおもしろいです。中学生のあなたは生きていく自信がなくてホームセンターでロープを買いましたがそれから何もないまま結局うやむやになって中学校を卒業しましたね、そんなあなたでさえその人生の先で少しは、生きるのに慣れます。花を見て名前はなんだろうと考える、そんな能力が回復します。これはすごいことだよ。楽しみにしていて、あなた、そう過去の私へ。あなたがまたロープを買うことがあろうとも、きっとそのロープはあなたをこの世に繋ぎ止める方向に働くでしょう、楽しいキャンプとか、ね。そう信じています。

 

 

バスが来ました。また混んでる。けど、さっき1本見送ったから諦めて乗る。

この時間帯はこうなんだ。と、これも好奇心。

 

街のバスにはたくさんの中学生が乗っていました。中学生なんてなんにでもなれるよというまやかしを昔の私は笑いました、心の中でさめざめと泣きながら。今の中学生たちもそうかもしれない。欺瞞に倒されないように、どうかいまこのときを、健やかに過ごしてください。