橋を渡って船が来る

 

 

 

 

 

いくらなんでも暑すぎる

 

 

そう思った朝でした。

日陰もなんにもないバス停に立ち、今日たまたま、なのでしょうけど、バス停に誰もいなかったのでとても不安になりました。普段はだいたい同じような面々がバスを待っているというのに。お顔も何もちゃんと覚えていなくてしかし会釈はするような人々が今日は誰もいない。なぜ。

やってくるバスの姿が初夏の朝に遠くゆらめいて、「船だ」と思いました。船に見えました。空が通りの向こうまで突き抜けるように青くて、海のように見えたからです。今日はあの船に乗って航海しましょう。

 

架空の都市計画を考えることがあります。ブラタモリも好きです。

面白いので、ゲーム感覚でGoogleマップを永遠に見ています。何してるの?

 

ランドスケープ、Landscape、という言葉を見つけました。直訳すると「風景」、その言葉をこえて「人為的にデザインされた風景」という意味合いを持っているのだと思います。都市や公園や広場など屋外における計画的な空間デザイン。屋外には自然があります(これは山や川があるということに限らず、すべての場所が自然なんだろうな、多分、)。自然と調和するデザインが大事、らしいです。

 

ランドスケープのことはまた何かで読むとして、そこから派生した「サウンドスケープ」Soundscape という語に、しばしば思いを馳せます。

 

〈音の景観〉〈音風景〉と訳し,音楽,言語,騒音,自然音,のさまざまな音を聴覚によって把捉する景観をいう。

カナダの作曲家マリー・シェーファー(R.Murray Schafar)が1960年代後半に提起した概念で,ランドスケープ(風景)からの造語。視覚に頼りがちな近代の知覚への批判が込められているが,究極的には嗅覚・味覚・触覚をも含めた五官が活発に働くことを目ざしており,この概念はその目標への里程標といえる。 

(百科事典マイペディア「サウンドスケープ」より引用)

 

専門の先生のお話 (青山学院大学のサイト)

サウンドスケープから都市の実態を探ろう! - 青山学院大学 | AGUリサーチ

 

自分が好きで通ってきたものは、

音楽(音)、心理学、都市デザイン だと思っていて(哲学もそうかなあ……)

その全てが重なるところにサウンドスケープがあるような気がして、興味が尽きません。

 

最近は臨床心理学の分野でマインドフルネス(雑に説明すると瞑想みたいなもの)が多く取り入れられていますね。一部の心理的問題に効果が認められた、エビデンスのある心理療法。マインドフルネスの要素の一つに、何かと頭の中で考えを巡らせてしまうのを一度止めて、「五感に集中する」というものがあります。……確かそうだった。(専攻ではあったものの大学院生でも研究者でもなんでもないので保険をかける。信じないでください。)

 

都市で暮らす以上、「五感に集中する」と、何かしら都市の風景が見えるし、何かしら都市の音が聞こえてきます。中でも特に『たまたま聞こえてくる音』、それに近いものを作ってみたいという気持ちがずっとあります。

 

たまに、生活を憂う暗い曲が(例を挙げるなら辛いとか苦しいとか死にたいとかね)、キャッチーなメロディを伴って、永遠に頭の中で鳴り続けるような『中毒性』を持つ曲に仕上がって、私たちの手元に届きます。うっかりそれを聞いてしまったら大変。ぐるぐるぐるぐる。現実がつらいのに、脳の中までつらくなってしまって、しかも止めたくても止められない、ちょっと不謹慎かもしれないけど私はこういう曲を聴く自傷行為と呼んでいる。嫌いなのではなく、悲しいです。それが流行る世の中であることなどが……

 

私は「消える」音楽を作りたいです。

都市の音は消えます。今朝どんな音がしていたか、昨晩どんな音が聞こえていたか、はっきりとは覚えていなくて、薄ぼんやりとしています。それだから私たちは毎日穏やかに暮らしていけます。もしキャッチーなループ音楽が生活を支配していたらどうでしょうか、私はどこかで確実に限界を迎えていることでしょう。もし朝の街の自然なざわめきが全部スーパーマーケットの「呼び込みくん」だったら……考えるだけでおそろしい。

 

すっと溶けて消えていく、覚えられない、突き刺さらない、

私のこともあなたのことも変えない、言い換えれば個人に介入しない、

そんな感じの音楽……環境音楽とかアンビエントとかそういうジャンルになると思うんですが、それらを作りたいなと夢見ています。

 

それが私にとっては安らぎです。もしかすると誰か他の人にとっても安らぎになるかもしれない。

 

 

さて、

よく知られていることですが、我がまちのバスはとにかく予定通り来ません。観光の人が多いからなあ。

大幅な遅れでようやくバスが来ました。渡りに船、いえ我慢の限界。バス待ちの時間だけでこんなに文章を書いてしまった。

時間に相当余裕を持って家を出ているので、十分間に合いますが、それにしてもちょっと。

 

街のざわめきとバスのモーター音に紛れて車内に響くアナウンス。デザインされた空間。

はじめから計画されたアナウンス。

 

「お待たせしました、…………」

 

いつもそうですよね……?という苛立ちで文章をしめようとしていてよくないですね。暑さのせいです。